Ave Maria

時代が変われば、娘。のメンバーも変わり、それを見つめるファンも少しずつ変遷し、変位する。


自分が知っている限り、いま現在、もっとも濃密なモーニング娘。評を紡いでくれるサイトがあり、自分はその更新をとても楽しみにしているのだが、その執筆者の方が、このサイト?についてツイートされていた内容を読み、誤解を与えたかもしれないと反省をした。今回は、ために、少しばかり補足をしておきたい。



自分は吉澤ひとみのファンである。

かつてファンであり、そして将来もファンであり続けるだろう。ゆえに、吉澤ひとみが在籍していたころのモーニング娘。を愛惜するものであり、吉澤がリーダーであった時代を誇りに思うものである。

だがリーダーとしての存在の強さ、素晴らしさといった面を俯瞰的総合的に見れば、初代リーダー中澤裕子をふくめ、歴代の錚々たるメンツの中でも、道重さゆみをもっとも評価するものである。

……なんてことを筆の勢いに任せて書くと、何やら上から目線のようになってしまうが、道重さゆみは、かねてより自分が、娘。のリーダーたる者に具えてほしい 「姿勢」 を完璧に有している唯一無二の存在であることは間違いない。


その姿勢とは、「褒められるときは、いちばん後ろで。批判されるときは、いちばん前で」 ということだ。


実は口下手な吉澤ひとみは、リーダー時代に口頭で注意するよりもまずは行動で示したという。結果、メンバーは上から管理される立場から解き放たれ、自律を身につける必要が生じた。ゆえに、それは強い個性の萌芽の時代であり、ある意味での人間復興(ルネサンス)であり、良い意味での無政府主義の時代だった。


だが、この世界には、言葉にすることでようやく伝えることができるものが、確かにあるのだ。


道重さゆみは全てのモーニング娘。の中でもっとも多くのリーダーに師事し、その果てに自らもリーダーとなった。

今の彼女は、歴代のリーダーの良いところを摘み取ったかのようだ。吉澤ひとみのように背中で語り、飯田圭織のように言葉で伝える。パトスとロゴス、そしてその外見的な美しさにも由来するエートスを併せ持っている。

人はそれをカリスマと呼んできた。


つまり、リーダーとして、道重さゆみは、既に、吉澤ひとみをはるかに凌駕しているのである。



旅立ちを見送るメンバーたちは、わずかに残されたばかりの道重との時間を惜しんでいることだろう。

だが、彼女が娘。を去ってからしばらくの時間が経過し、そこではじめて、失われたものの本当の大きさに、ようやく気がつく。


後漢書王覇伝に曰く 『疾風に勁草を知る』。


そこからまた、新しい闘いがはじまるのだ。

これまでのモーニング娘。におけるすべての世代において、その時代の少女たちが、それぞれの困難に立ち向かわなければならなかったのと同じく。


かつて自分が営んでいたサイトのネーミングは、その闘いに由来する。

モーニング娘。であることは、闘うことである。
モーニング娘。とは、すなわち 武闘 である。




……つい話がそれてしまいました。

ということで、いや、というか何だかんだで、現在の自分は道重さゆみの喪失に、戦々兢々とする毎日なのであります。

ただ、道重以外の、現在のメンバーの名前を並べるだけでも笑みが浮かんでしまうのも事実であり、あのメンバーなら何かやってくれそうな気がするのです。

映画 『トロイ』 におけるアキレスの槍衾や、同じく映画 『300』 におけるスパルタ・ファランクスの密集陣形や、『TIKI BUN』 のスクラム?フォーメーションのように、他のメンバーを助け護ることが、自分を仗け守ることにつながるような、熱い闘いを、きっと。