遺書

8月に更新したのがたった1回だけだということに軽いショックを覚え、一体こういうことでいいのかどうか、真剣に思い悩む今更30代の自分です。というか、もともとはここは単なる実験的なスペースのために仮初にページを開いたにすぎず、メインコンテンツが別所に移動した今、使う目的は依然として喪失されたまま。
 

テキスト界隈を巡って思うことの一つに、文章のアマチュア感がある。こういうと「下手だ」といっているように思われるかもしれないが、実はそうではない。物を書くことを生業としている人間とそうではない人間の間には、磁石のSとNのような関係性がある。
 
一番思うことはプロ、特に新聞系出身は「〜である」「〜なのだ」という言葉づかいを潔しとしない、ということ。主観的な感情を込めた、もっと悪く言えば過分に叙情的なりすぎた表現は、タブーそのものだった。客観報道が基本の新聞の記者は客観的な状況の把握と分析に慣れていると言える。
 
だがしかし、それをそのまま個人が開設しているテキストサイトなどに当てはめてみても、箸にも棒にもかからない乾燥したサイトが出来るだけだろう。当たり前のことだが肝腎なことはバランスで、叙情的主観的な観想に基づいた文章の場合、そう言った表現が適切でさえあれば、読み手に深い余韻を残すとになる。
 
マチュア感のある文章は、たとえその内容が他愛の無いことであっても、時に読み手の心をさらっていくような、そういう魅力に満ちている。一方本物のプロの文章と言えは、もう絶えて久しい。それはネットの上だけのことではなく、紙媒体での世界でも同じことだ。個人的な好悪で基準を上げるなど馬鹿馬鹿しいこと甚だしいが、幸田露伴「幻談」、そして福永武彦「告別」、この2作が、自分が最も心奪われた日本語だった。それは今も変わらない。
 
ということをツラツラ考えていくと、はっとさせられるような日本語はこの国からはもう生まれないのではないかなどという根拠の無い妄説が脳裏をかすめる。 
詩人という肩書きを聞くときに、幾分の嘲笑の気配を感じるような世界からは、新しい言葉が生まれるべくもない。
 
あとは変化を待つだけだ。ら抜きも口語体も拒絶することからは何も生まれない。言葉は生き物だ。しかも掴みようが無いからこそ、この世界でもっとも自由な生き物だ。言葉の支配下にある我等人間が言葉に枠を与えて規制することなどできはしない。
 
その自由さを十二分に尊重し、その上で自分のもとすることにギリギリのすり合わせをし、突き詰めていくことではじめてプロの文章ができる。幸田と福永は、その努力を一生欠かさなかった偉大なる先達だった。

 
タイトルは物騒だが死ぬわけがない。いつでも死ねるし、死に急ぐには人生は短すぎる。要は頭が痛く、腹が痛く、熱が有り、若干の下血が見られ、炎症反応が上がっているというだけのことだ。
 
望まない闇の季節が、秋を手前に訪れてきたのかもしれない。