開幕

それはもはや起こったことであって、時間を巻き戻す方法はないし、本人たち自身がそれを望まないに違いない。なぜならこの屈辱は初めての体験ではないからだ。むしろガッタスとは常に「負け」からはじまる歴史であり、それを「勝利」につなげていく達成の軌跡なのだ。少なくとも自分はそこにカタルシスを見出している。モーニング娘。が「負け」からはじまったこと、その軌跡をトレースするかのように。

2004年のお台場カップ。自分が唯一見ることができた試合は、宿命である「お笑いモード」を封印してガッタスに当たってきた吉本マラティニーコに徹底的にのされた試合だった。それ以前にもガッタスは初の対外練習試合で0-25で敗れ、スポフェスでも大差で2連敗。もちろん都大会で勝てるはずもなく、惨敗。第1回739は勝ち点差で2位。2005年のお台場カップでは予選敗退ギリギリまで追い詰められ、這い上がった決勝トーナメントでも結局準優勝にとどまった。

ガッタスは一度膝をつく。

そしてそこから立ち上がる姿を見せてくれる。ガッタスサポーターの今の主流やフットサル競技者サイドから見れば、これは「前時代的」で「非生産的」な試合の見方であるようなのだが、自分がガッタスに見出す「熱」は、単純な技術の向上や試合の勝利ということだけではなくて、もっと泥臭いココロのお話であったりするのだ。つまり、今ここであげた「熱」とは、ガッタススフィアリーグが本来的に持っているそれではなくて、自分の内側に潜んでいて普段は識域に上ってこない種類の「熱」であり、それはガッタスの姿に煽られてはじめて顕在化する「反射熱」のようなものかもしれないのだ。

第2回739での劇的な勝利、追い詰められた2005お台場カップで、スピリッツオブガッタスでも吉澤ひとみが触れていた2日目第4試合(それを実際見ることができたのは幸運であった)からの猛烈な巻き返し。

それは気迫。いや、「鬼迫」。



しかし、今回の不調はしばらく続くかもしれない。

いくつかのレポでガッタスが「油断していた」とか「過信していた」という形容を見かけたが、これほど自分の感じた印象にしっくりこない表現も珍しい。吉澤がそのアルカイックスマイルを彫られた能面のように顔に貼り付けて表情を変えないときというのは、極度の不満や感情の波を圧し殺そうとしている時だ、と、この自称「結果的古参吉澤ファン」は経験的に妄推する。油断や過信をおかしていたのは、むしろサポーターの方であろう。


思い当たる節はいくつかある。

10.20の(個人的にはそう思ってはいないが)“完全勝利”以降、ガッタス及び吉澤ひとみの周りで起きたある種の旋風は、まさに目を見張るものがあった。深夜とは言え地上波初放送の特番では一貫としてメインキャラクターとして話し続け、BSデジタルにおいてガロッタスがはじまると第1回目のインタビューコーナーに担ぎ出され、フットサル専門誌の表紙を飾り、JFAの公式サイトにもまたインタビュー記事が掲載され、加えてスピリッツオブガッタスとSals4が発売される。

もたらされた舞台は彼女とかけがえのない仲間たちの努力の結果であると言ってもいいとは思う。しかし皮肉にもそれは吉澤ひとみがスピリッツオブガッタスの中で忌避していた「見栄え的な理由で選手が選ばれて、盛り上げるための演出が入って」というもののように、自分には見えた。

慢性的なプレッシャーも忘れてはならない。常勝を求められること。それは個人の意識的なレベルにとどまるものではなく、興行的な面でも求められている。吉澤ひとみは決して器用な人間ではない。だからこそ自分はこの人に興味を持ち続けているのだけれども、本当の「強さ」を手に入れることは容易ではない。それは多分に天性によるからだ。



少し話をかえて。

ガッタスの敗退よりも衝撃的だったのはJ.bのリザーブ落ちだ。ガッタスに北澤がいなかったのと同じようにJ.bには袴田がおらず、ともにPK戦で敗れたのが印象的。両者ともフットサルをはじめた時期は相対的に古く、チーム内には信頼関係が上手く構築されている。その分「負の連鎖を絶つにはこの人がいなければ」などという部分があってもおかしくはないし、それは当人たちが思っている以上に大きかったりするものだ。

それにしても半田の離脱は痛い。昔からいる良い選手の離脱はスフィアリーグ全体の損失であることがよくわかった。だからこそ山口は絶対に離脱させてはならない。まるで輩みたいな浅井のコーチは離脱してもいいが。(よくない


小島くるみが優勝のコメントで吉澤の名前を出した時、かなりの人がそれを挑発と受け取ったようだが、自分はそうは思わなかった。むしろぐっときて拍手を送ったほどである。

結果的な話だが1月の直接対決が楽しみだ。これはカレッツアからもらった軌道修正のチャンスなのだから。それも実戦という貴重なチャンス。2ndステージまでにこういう機会があることを「幸運」と呼ばずして何と呼ぶのか。



最後に。

PKを外したり、(意図的に引き出されたにすぎない)ビッグマウス裏目に出たり、吉澤ひとみにとっては厄日といってもいいだろうが、やはり選手として批判されても仕方がないだろう。だがそれは、プレーの質が酷いとか言っていることとやっていることが違うとか、そういうありきたりの次元の問題ではなくて、それがキャプテンの役目だからだ。

負けから学ぶこととは、主にそういう精神的な事柄である。自分から進んでそこへ歩んでいったのだから、「強さ」を手に入れて欲しいと心から願う。技術や勝利だけではなくて。



それにしても、敗戦後、他のチームの試合を見ているときの吉澤の表情といったら。あれほど悔しさに満ちた表情はもう久しく見ていない気がした。凍りついた微笑の仮面。