陽炎の記 6

「来いっ!」
裕子の恐ろしい形相を目にしたひとみは、
事態がただならぬ状況になっていることを本能的に悟った。
いくら訓練しても慣れなかったアサルトライフルを探しに圭の工房に走り込むと
オイルの匂いにむせ返りながら自分に与えられたFA-MASを探した。
 
 自分のことを守るだけやない、自分たちの町を守るためなんやで。
 
裕子が繰り返し叫ぶように言い聞かせた言葉が脳裏に響く。
 
だがひとみのFA-MASは見当たらなかった。
焦りのあまり息が荒くなる。
銃が見つからないということよりも、裕子に怒られることの方が怖かった。
だから圭の工房で、作業台に置かれた大きなライフルが目に入ったとき、
ひとみの焦りは嘘のように消えていった。
 
圭がライフルを実験的にカスタマイズしているのをひとみは毎日見ていた。
裕子から前線に立つアタッカー失格の烙印を押されてからは
むしろ圭の手伝いをすることがひとみの日常だった。
彼女はそれを不名誉なことだとは思わなかった。
裕子に言われる以前からずっと、ひとみは圭の工房に毎日のように通っていたからだ。
 
侵略してきた連合軍が落としていった馬鹿みたいに長いライフル。
PSG1。
圭は試行錯誤を繰り返して、多弾装マガジンと無反動化を実現しようとしていた。
無反動化はちっとも成功する気配がなかったが
既に多弾装マガジンは完成していた。
 
 
 
ひとみは即席の銃座に置かれたライフルを持ち上げた。
あまりの重さに身体がふらつく。
これを持って裕子を追いかけるのは無理だ。
 
 いいかい、ひとみ。
 何百メートルも先の的を撃ち抜くようなライフルっていうのは
 オートマチックじゃ無理なんだ。
 自動的に装填する仕組みは、ライフルの中の部品と部品の噛みあわせがどうしても緩くなる。
 だから本当に遠い距離を狙うのはボルトアクションって相場が決まっているのさ。
 
 でもね、そこを何とかしたいと思ってるんだよ、アタシは。
 どうしても遠距離で、しかも続けて撃てるようなスナイパーライフルが必要なんだよ。
 だからこんなに時間をかけてるわけ。
 オートマチックとボルトアクションをギリギリのところで摺り合わせる。
 
 あの時、それが完成していれば…
 
圭が何を言いよどんだのか、ひとみは尋ねることができなかった。
圭の顔に浮かんだあまりにも杳い陰りに言葉が出なかった。
 
 
 
圭の深い陰りそのもののように冷たく重いPSG1のボディを抱えると、
ひとみは家から少し離れた礼拝堂のタワーに駆け上った。
礼拝堂は風雪と暴力の前に方々が崩れ、すでに神々の去った跡地と化していた。
 
崩壊が建物の半分以上を支配しているその尖塔に上るのは単純に危険だった。
一目見てもそれは最早立っている以外に何の用も果たしていないことが見て取れた。
だからこそ侵略者たちはそれ以上の破壊を加えずに礼拝堂を放置していたし、
だからこそ裕子たちはそれを逆手にとることができた。
 
 
崩れつつある階段に一つしかないラインをたどり、何回か奈落を飛び越えれば、
町全体を見渡すことができる突端に至る。
静まり返ったような青空がひとみの頭の上に広がっていたが、
ひとみは激しい興奮と重い銃と弾を持って駆け上がってきた疲労で激しく呼吸を繰り返していた。
 
バイポッドを立てて異様に長い銃身を固定する。
スコープを開き裕子が必ず行くトーチカの様子を覗く。
裕子の姿は見えないが、トーチカの外壁にへばりつく何人もの敵の赤い姿がそこにあった。
 
自分の予想が当たっていたことを確認すると、
まるでスイッチを入れたかのようにひとみの呼吸が治まっていく。
 
距離は370メートル。
もう何度も計った距離だから間違いはない。
スコープも圭の工房においてあった時点で既に370メートルにセット済みだ。
 
 そうだよね。
 圭ちゃんがカスタマイズで仮想目標にするはいつもあのトーチカなんだから。
 
 
 
ラウマのレッドリンク指揮官は冷静に戦況を把握しようと努めていた。
問題は今のところレカンの橋の向こうにある中央のトーチカだけだったし、
その左に位置する攻撃力がかなり劣るトーチカさえ陥してしまえば
あとは手榴弾を10も投擲すれば、抵抗点は排除できるはずだった。
 
正直中央のトーチカの攻撃力には驚いていたし、
内心密かに感心するほどだったが、所詮ミドルレンジの兵士には興味がなかった。
精鋭といわれる部隊の半分を投入しているだけに、
攻略するまでにあとどれくらい時間を短縮できるかという命題だけが彼の唯一の関心事だった。
 
大勢を押している者の常だったが、彼はこの戦闘後の後始末の付け方を考えはじめ、
着々と攻略されつつある中央トーチカのあたりで起きたわずかな変化に気づかなかった。
 
だから、遠くから届いてくる くぐもった銃声の意味がわからずに
中央のトーチカの付近で兵士がバラバラと崩れ落ちるのを黙って見ていた。
早く早く早くしろと、呪文のようにささめきながら。