陽炎の記 7

最初の一発目でひとみの肩は抜けかけた。
 
そういえば「脱臼した」って言ってたっけ。
 
その痛みを思い出しながら顔をゆがめる圭のことを思い出して、
ひとみはしっかりと射撃体勢を整えた。
 
痛い。
 
人を撃っている。人を守るために人を撃っている。
 
 受け止められるか?
 
裕子の声が聞こえたように思えた。
 
2撃、3撃と、ひとみの射撃は続いた。
的確にしかもジャムを起こすことなく装填されていく弾丸に任せて
裕子のいるトーチカに群がるレッドリンクを次々に撃ち抜く。
サプレッサーを装着しているとはいえ、着弾に影響するほどの消音効果はなく、
ひとみの鼓膜は痺れていた。
だが、肩と耳の両方の痛みにもひとみは動じず、
1発1発射ち込むごとに、息遣いも動揺も、静寂のうちに収斂されていくのが不思議だった。
 
スコープの向こう側で確実に何人かが死んでいることだけはわかった。
裕子以外の何人かが。
 
 
 
「サージェント! 軍曹!」
ラウマの指揮官は極度の苛立ちに胃薬を噛み下しながら怒鳴った。
「どこから射ってきてるんだ。はやくポイントを見つけ出せ」
中央のトーチカでの味方の被害は甚大というにふさわしい状況になってきていた。
トーチカの中にいる敵が一人であることはもう判明していた。
だが、どこからか援護射撃があるのは明白で、
たった一つのポイントが険しい山のようになって立ちはだかっている。
早急にポイントを見つけ出して対策を講じなければならない。
「あと30、20秒だ。20秒で探し出せ」
「200m圏内にはポイントはありません」
「もう一度言え」
「200m圏内はクリアです」
「確かか!」
「はい、確認しました、中佐」
「…バカな」
 
ありえない、と彼は思った。
200mより離れたところから、確実に的を射ち抜くスナイパーが
このような辺境の地域にいるとはどうしても信じることはできなかった。
しかも、ひっきりなしに群がるレッドリンクを片っ端から射ち落とすことなど、
彼の沽券にかけても認めることはできなかった。
「軍曹! 倍だ! あのトーチカを中心に400mまで索敵範囲を拡大しろ。
 それとポイントは複数のはずだ。見落とすな」
「了解。索敵範囲を400mまでに拡大します」
「伍長! 迫撃砲と地対地ランチャーの用意。
 あと1分待って無駄だったらあのトーチカを爆破だ」
「了解しました」
「30秒で位置につけ」
「中佐! ポイントを発見しました。トーチカからの距離は370mです」
「確かか? 他には」
「まだ見つかりません」
「早く見つけ出せ! 1つなわけがない。あってはならない」
  
 400mだと。400。一流だ。そんな人間がここにいるとは思わなかった。情報部のミスだ。
 いや情報部でなくとも、誰も思うまい。ここにそんな人間がいるとは。
 だがいる。それも複数だ。
 
「軍曹、見つかったか」
「いえ、まだ1つしか。ですが」
「なんだ」
「この掃射はそこからだけのようです」
「何だと…。 ならばそこに複数の狙撃主がいるということだ。伍長!」
「準備完了しています」
「目標変更! 軍曹指示しろ」
「目標変更、ここから600m。マーク6.00、W0+.101。 教会の尖塔の残骸」
「目標捕捉しました」
「撃て。沈黙させろ。それが完了したらあのトーチカを爆破だ」
「まだ味方がいますが」
「撤退させても背中を射たれるだけだ。おとりにして奴らの注意を引き付ける。撤退はさせるな」
一瞬の沈黙。
「セルスーツを着込んでいる。簡単には死なん」
「了解、撃て!」
小さく、くぐもった破裂音とともに白い軌跡が弧を描きながら尖塔に向かった。
「スナイパーを1箇所に並べるとは、常識がないのか、ここの連中は」
尖塔に爆発が起きるのを双眼鏡で覗きながら、司令官はつぶやいた。
その光景が他のどんな薬よりも劇的に胃の痛みを和らげていく。
 
 
 
先刻までの仰向けの体勢だった自分が、
再びトーチカの銃窓から射撃していることに気づく数分間の間、
裕子は意識もなくただ機械的に行動していた。
 
だから死ぬ覚悟をしたはずなのにラウマの精鋭が圧されている事実が
現実の出来事だとはすぐには認識できなかった。
隣には血しぶきと共に空からふってきた敵の死体が転がっていた。
 
裕子めがけて襲いかかろうとしていたラウマの赤いスーツは
何故か銃窓の向こう側でシリシリと後退しはじめていた。
どうしてなのかなのか理解できなかったが、何かしらの僥倖があったことだけはわかった。
 
勢いに任せて掃射しようとすると、1発だけが発射され、
それは裕子が持っていた最後の弾丸だった。
 
「何やのもう!」
この大事なところで弾が切れた自分に無性に腹が立った。
 
 
 
「わ! 信じらんない、弾切らしてやんの!」
聞き覚えのある高い声がすぐ後ろで聞こえた。
振り向くと同時にマガジンが勢いよく飛んできて、
裕子はそれが顔にぶつかるギリギリのところで掴んだ。
 
「っ、危ないわ、ヤグチ」
「危ないのは裕ちゃんでしょう。ウチらが来なかったら死んでるよ」
「来たからもうええやん」
「ったくもう…」
 
安堵からなのか理由はわからなかったが、
裕子の灰緑色の目から突然わけもなく涙がこみあげてきた。
 
「…何だよオマエー」
「黙れ。始末つけるよ」
「んー。もうついてるかもヨン」
 
土ぼこりに汚れた真里・ヤグチはそう言って笑った。