退潮

そろそろスパンもいい具合に空いてきたので、何か特集めいたことをやってもいい時期かもしれないですね。理想はアレだ。岡女。の修学旅行ですよ。アレだけはもう他の誰にも語らせるスキを作らないってなくらいの構想も材料も意気込みもあるのですが、椎名麟三の『永遠なる序章』よろしく「永遠なる未完成」をもって是とする自分の感性からすれば、それはすなわち僕のモーニング娘。時代の終わりを意味するわけですね。
実は、それでもいいのかもしれないと考えてます。ただ岡女。は、あのサイトが死ぬ時、どこか別のサイトに委託してでも遺しておこうかなぁとも思っているので、それは打ち上げ花火にはふさわしくない気がしています。
では何だ、と考える。そしてその答はただ一つ。吉澤ひとみ特集であろう、と。
これまでの数少ない特集について、誰も彼も絶賛するものを、誰も彼もが思いつく視点でやってきたつもりは一切ありません。はじまりが誰もが思いつくものであったとしても、それをとことん突き詰めてやってきた自覚はあります。それが伝わっているかどうか、そう出来ているかどうかは置いておくとしても。
吉澤ひとみは眩しいくらいに見事な復活を果たしたのです。事務所の思惑もヲタの人気の低さも、何もかもが意味を無くすほどの復活。
椎名麟三が、イエスの「復活」にキリストの福音の本質を見出したのと同じく、自分は吉澤ひとみの「復活」に、モーニング娘。の福音の本質を見出したのでありました。そしてその吉澤ひとみの「福音」は、決して神聖なものではなく、清濁合わさった、非常に人間臭い、生々しいものでした。
そこに理屈はない。ただ3つほどのキャプ画を貼れば事が済んでしまう類いのものかもしれない。それでいい。それが難しい。
結局自分がやってきたことの根本に流れていたものは“礼賛”でした。批判でも批評でも中傷でも馴れ合いでもなく。
日々更新することに意味を見出せなくなってきたということです。もうあのサイトは死んでいるのですよ。

すると、まるでその死と引き換えるかのように、とあるサイトが現れたわけです。心の中でいつの間にか欠けていた穴が、その登場によって、彼の書く文章によって隙間なく埋められる感覚。
今は正直彼のサイトを紹介したことを悔やんでいます。もう少し待てば、自分がわざわざ紹介して色眼鏡越しに見られてしまうようなこともなく、ゆっくりと知られていったはずなのに、もっと読んでほしいという気持ちがただただ先行してしまったのです。彼のサイトの全編に溢れる「礼賛」を前に、自分は言葉をなくしていました。

深く静かに潜行し、準備をすすめていこうと思います。